ブルボン家(Maison de Bourbon)は、ヨーロッパの王家で、フランス王家カペー家の支流のひとつ。現在のスペイン王家であり、現在のルクセンブルク大公家も男系ではブルボン家の系譜を引いている。
ブルボン(Bourbon)の語源はケルト語で「泥」(Borvo, もしくは Borbo)の意味である。
ルイ9世の第6子クレルモン伯ロベールが婚姻によりフランス中部ブルボネーの所領を獲得し、その子ルイ1世がフランス王シャルル4世によりブルボン公に叙せられたのがブルボン家の起こりである。
歴代ブルボン公(カペー朝からヴァロワ朝まで) [編集]
ルイ1世(1327年 - 1341年) - 娘ベアトリスはボヘミア王ヨハンに嫁いでルクセンブルク公ヴェンツェル1世を生んだ。
ピエール1世(1341年 - 1356年) - ルイ1世の子。ポワティエの戦いで戦死した。長女ジャンヌをフランス王シャルル5世に、次女ブランシュをカスティーリャ王ペドロ1世に、三女ボンヌ (en) をサヴォイア伯アメデーオ6世 (en) に嫁がせた。
ルイ2世 (en) (1356年 - 1410年) - ピエール1世の子。姉ジャンヌの子シャルル6世の摂政を務めた。
ジャン1世 (en) (1410年 - 1434年) - ルイ2世の子。
シャルル1世 (en) (1434年 - 1456年) - ジャン1世の子。ブルゴーニュ公ジャン1世(無畏公)の娘アニェス (en) と結婚。娘マルグリットはサヴォイア公フィリッポ2世に嫁いでフランス王フランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワを生んだ。
ジャン2世 (en) (1456年 - 1488年) - シャルル1世の子。最初の妻ジャンヌはフランス王シャルル7世の王女。
シャルル2世 (en) (1488年) - ジャン2世の弟。兄の死後に公位を継いだが同年に死去した。
ピエール2世(1488年 - 1503年) - シャルル2世の弟。妻アンヌはルイ11世の王女。妻とともに義弟シャルル8世の摂政を務めた。
シュザンヌ(1503年 - 1521年) - ピエール2世の娘。
ブルボン=モンパンシエ家
シャルル3世(1505年 - 1527年) - シャルル1世の弟モンパンシエ伯ルイ1世 (en) の孫。シュザンヌと結婚してブルボン公を継承。国王フランソワ1世によりブルボン元帥に叙されるが、後に家産を没収される。その後、神聖ローマ皇帝カール5世に仕えてイタリア戦争でフランソワ1世を捕虜にするなどの活躍をしたが、1527年にローマで戦死した。ローマ略奪は司令官であるシャルル3世の死によって引き起こされた。
ブルボン=ラ・マルシュ家またはブルボン=ヴァンドーム家
シャルル4世(1527年 - 1537年) - ピエール1世の弟ラ・マルシュ伯ジャック1世 (en) から5代目の末裔。ジャック1世の子ジャン1世 (en) は婚姻によりヴァンドーム伯位を獲得し、次男ルイ (en) から3代にわたり継承されていたが、シャルルの代に至ってヴァンドーム公に昇叙された。のち、シャルル3世の死により宗家が断絶したため、ブルボン公位と所領を相続した。
アントワーヌ(1537年 - 1562年) - シャルル4世の子。ジャンヌ・ダルブレとの婚姻によりナバラ王位を獲得した。ナバラ王の称号はアンリ4世からフランス・ブルボン家の歴代の王によって継承された。
アントワーヌの弟のうち、ブルボン枢機卿シャルルは国王アンリ3世の死後に甥アンリ4世の対立王に擁立されたが、間もなく死去した(シャルル10世、1589年 - 1590年)。末弟のコンデ公ルイ1世はブルボン=コンデ家の祖である。
フランス・ブルボン家 [編集]
フランスブルボン朝も参照
アントワーヌとジャンヌ・ダルブレの子アンリは、父からブルボン公およびヴァンドーム公位を、母からナバラ王位を継承していたが、ヴァロワ家断絶の後を受けてフランス王位を継承した(アンリ4世)。ルイ14世のとき絶対君主制を確立したが、フランス革命で一時中断、復古王政ののち1830年の7月革命をもって嫡流はフランス王位を失った。
歴代国王(フランスとナバラの王) [編集]
アンリ4世(1589年 - 1610年)
ルイ13世(1610年 - 1643年)
ルイ14世(太陽王、1643年 - 1715年)
ルイ15世(1715年 - 1774年)
ルイ16世(1774年 - 1792年)
ルイ17世
(復古王政) [編集]
ルイ18世(1814年 - 1824年)
シャルル10世(1824年 - 1830年)
スペイン・ブルボン(ボルボン)家 [編集]
スペイン・ブルボン朝も参照
スペインでアブスブルゴ(ハプスブルク)家が断絶した後、1700年にフランスのルイ14世が孫のアンジュー公フィリップ(フェリペ5世)をスペイン王に即位させた。この企てはスペイン継承戦争を招いたが、戦争の結果各国が即位を承認し、ボルボーン朝が成立した。1931年にアルフォンソ13世が退位した後、長く王位を失っていたが、1975年に孫のフアン・カルロス1世が即位して王制が復活した。
歴代国王 [編集]
フェリペ5世(1700年 - 1724年、1724年 - 1746年)
ルイス1世(1724年)
フェルナンド6世(1746年 - 1759年)
カルロス3世(1759年 - 1788年)
カルロス4世(1788年 - 1808年)
フェルナンド7世(1808年、1813年 - 1833年)
1808年から1813年までホセ1世(ジョゼフ・ボナパルト)が在位。
イサベル2世(1833年 - 1868年)
1868年から1870年まで空位(摂政:フランシスコ・セラノ)。
1870年から1873年までアマデオ1世が在位。
1873年から1875年まで第一共和政。
アルフォンソ12世(1875年 - 1885年)
アルフォンソ13世(1886年 - 1931年)
アルフォンソ13世はアルフォンソ12世の死後に生まれ、誕生と同時に即位した。その間は空位。
1931年から1939年まで第二共和政。
1939年から1975年までフランコ政権。
1941年に名目上の王位をバルセロナ伯フアンに譲位(フアンは1977年に権利放棄)。
フアン・カルロス1世(1975 - )
カルリスタ [編集]
フェルナンド7世死後、その娘であるイサベル2世が即位したが、フェルナンド7世の弟であるモリナ伯カルロスはこれに反発して、カルロス5世として独自に即位した。以後、スペインはイザベル2世派とカルロス5世派とに分かれて内戦が勃発した。カルロス5世及びその子孫を支持する一派をカルリスタと呼ぶことから、この内戦はカルリスタ戦争という。カルロス5世の男系子孫の最後の男子であるサン・ハイメ公アルフォンソ・カルロス(アルフォンソ・カルロス1世)が死去した後は、カルリスタはそれぞれ独自の王を立て、分裂している。なお、モンティソン伯フアン・カルロス(フアン3世)以降はレジティミストの要請により名目上のフランス王位も兼ねていた(後述)。
モリナ伯カルロス(カルロス5世、1833年 - 1845年)
モンテモリーン伯カルロス・ルイス(カルロス6世、1845年 - 1861年) モリナ伯の長男。
モンティソン伯フアン・カルロス(フアン3世、1861年 - 1868年) モリナ伯の次男。フランス王位請求者。
マドリード公カルロス(カルロス7世、1868年 - 1909年) モンティソン伯の長男。フランス王位請求者。
マドリード公ハイメ(ハイメ3世、1909年 - 1931年) マドリード公カルロスの長男。フランス王位請求者。
サン・ハイメ公アルフォンソ・カルロス(アルフォンソ・カルロス1世、1931年 - 1936年) モンティソン伯の次男。フランス王位請求者。
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